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戦争体験者の生々しい肉声 岐阜県池田町で終戦80年企画展

終戦80年に合わせ、揖斐郡池田町で昭和の戦争をテーマにした企画展が開かれています。会場では町内の戦争体験者のインタビューも公開されており、戦争の苦しみ、悲しみを生々しい肉声で伝えています。
池田町では日中戦争、太平洋戦争などで空襲などによる被害はありませんでしたが、軍人や軍属537人が犠牲になりました。
企画展「昭和の戦争と池田」は4回目の開催ですが、今回は終戦80年の拡大版として町内にあった有線放送が1986年から3年ほどかけて収録した戦争体験者40人のインタビューを月替わりで聴くコーナーを初めて設けました。
インタビューは、過酷な時代を生き抜いた人たちの思いを生々しい肉声で紹介しています。
※66歳男性(収録時) 1941年出征、中国北部へ。翌年には仏領インドシナ(当時、現在のベトナム、ラオス、カンボジア)へ転戦
「昭和16年に北支へ行きました。北支の戦争に参加して、その後南方へ。(南方は?)仏領インドシナ」 「戦争に行って苦しさのあまり早く弾でも当たらないかなって思ったこともありました。弾でも当たればこんな苦しみもないなぁと、そんなことを考えたこともありました」
※77歳女性(収録時) 太平洋戦争開戦直後に海軍の40代夫が応召。夫はその後、南方ソロモン諸島へ
「明治42年5月生まれ、77歳戦争未亡人です」 「『南方に行くからには生きて会うことはできないであろう。今度会うときは靖国神社で、子どもを頼む』というハガキ1枚を寄こしていきました」「19年になったらとんと便りがなくなって、どうしたかしら、どうしたかしらと思って、あけてもくれても泣いてばっかり、私はまぁほんとに…」
このほか会場には、町内から集めた出征する兵士の見送りを呼びかける当時の村長の手書きの依頼文や疎開してきた児童たちの記念写真、終戦当日の住民の日記などが展示されていて、当時の暮らしぶりの一端をうかがい知ることもできます。
※池田町教育委員会 社会教育課 横幕大祐課長
「テレビで見る戦争の記録、そういうものが池田町でも確かにそういうことがあったんだ、他人ごとではなくテレビの中ではなく、実際に池田町でもあったことだということを感じてほしいと思います」
この企画展は12月9日まで開かれています。