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長嶋茂雄さん死去  岐阜県内でも惜しむ声相次ぐ

戦後の日本を代表するスーパースターで「ミスタープロ野球」と呼ばれた元巨人の長嶋茂...
長嶋茂雄さん=長良川球場、岐阜市、1993年3月

 戦後の日本を代表するスーパースターで「ミスタープロ野球」と呼ばれた元巨人の長嶋茂雄さんが3日亡くなり、岐阜県内からも惜しむ声が聞かれました。

 ※県民の声(JR岐阜駅前)
「自分は阪神ファンだが、プロ野球を盛り上げてくれた。亡くなったのはショックですね」

「ミスタージャイアンツ、背番号3、僕らの時代の英雄。思い出のシーンは天覧試合ですね。今の大谷のような感じで、大谷よりももっと凄かったかもしれませんね」

「本当に長い間ご健闘いただいてありがとうございましたと言いたいです」

 プロ野球の名実況で知られるフリーアナウンサーの吉村功さん。プロ野球の数々の名勝負の中でも 史上初の同率首位による頂上決戦で長嶋さん率いる巨人が中日を破った1994年の「10・8」が忘れられないと振り返ります。

※フリーアナウンサー 吉村功さん
「長嶋さんにはユーモアなエピソードが多いですが、勝負に対して緻密に臨み、信念を燃やす方だった。例えば、僕が実況した「10.8」のときも、高木守道さんは我々報道陣と会話しながらのんびりされていましたけれども、槙原寛己さんや落合博満さんに聞いた話によると、長嶋さんは、当時定宿だった名古屋のホテルから出発する時に「勝つ!勝つ!勝つ!」と3回言って出ていった。つまり勝負に対する信念が並外れた監督さんだったと思います」

 一方、長年、長嶋さんと親交があった岐阜新聞社の杉山幹夫最高顧問は、球史に燦然と輝く功績と共に、誰に対しても飾らない人柄を思い出します。

※岐阜新聞社 杉山幹夫最高顧問
「太陽が消えたみたいで悲しいです。選手に対してフレンドリーで、兄貴分のような存在に見えました。サービス精神旺盛な方で、日本の野球をここまで大衆に愛されるスポーツに価値を高めたのは長嶋さんの功績。」

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