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還暦を迎えた岐阜大学野球部員 加藤文彦さん 「ヒーローになることを常に夢見て 打つイメージを持ちながら」 (ぎふチャンラジオ吉村功のスポーツオブドリーム)

東海地区大学野球の春季岐阜リーグは、12日の試合で中部学院大が中京学院大に2-1...
還暦を迎えた岐阜大学野球部員の加藤文彦さん

 東海地区大学野球の春季岐阜リーグは、12日の試合で中部学院大が中京学院大に2-1で競り勝ち、3季ぶり19度目の優勝を決めました。

 岐阜県内7大学が加盟する学生野球リーグのアナザーストーリー。そこには、もう1つの物語がありました。今回ご紹介するのは、異色の野球部員による挑戦です。

 岐阜大学2年生の加藤文彦さん。硬式野球部に所属し、背番号3番、左投げ、左打ち、ポディションはファーストです。加藤さんは5月6日に60歳の誕生日、還暦を迎えました。

 加藤さんは、1983年に滋賀大学に進学し、卒業後は公務員として働くも、大学野球でプレーする夢を捨てきれずに56歳で名古屋工業大学に入学。硬式野球部に所属して愛知大学野球リーグ3部公式戦への出場を果たしました。その後、もっと高いレベルで野球がしたいと、岐阜大学工学部を受験して見事合格。硬式野球部に所属しました。

   春の岐阜リーグでは1回も打席に立つことなく、守備につくこともできず、悔しい思いをしました。

吉村:加藤さんは中学生の頃に一度野球をやめたそうですが、どうして野球にまた目覚めたんですか。
加藤:人生80年の中で、悔いのないように体力があるうちに挑戦してみようと思いました。
吉村:名工大から今度は岐阜大工学部に入学したのはどうしてですか。
加藤:名工大もレベルが高く試合も勝ち進んでよかったんですが、レベルがもっと高い岐阜リーグでプレーしたい気持ちが強くなりました。

   大学の野球部員として還暦を迎えたことを聞くと。

吉村:大学生、野球部員、仕事とすごいことをやっていて、還暦を迎えられました。どんな気持ちですか。
加藤:自分としては特に変わりはありません。同じことの繰り返しで、通過点にしか過ぎません。
吉村:5月6日に還暦を迎えて、10日には東海学院大と対戦。最後の打席に出られるかなと思っていましたが…。
加藤:出られなかったのは残念です。相手の伊藤投手がノーヒットノーランを成し遂げたので、とても出られる雰囲気ではありませんでした。

   吉村キャスターが「ヒーローになることを常に夢見ていました?」と問うと、加藤さんは「代打で出たら、初球高めのストレートを左中間へ。私は左打ちですので、逆方向に打ち返すイメージで、左を抜けたらヘッドスライディングでギリギリセーフ!」笑顔いっぱいでイメージしたプレーをすらすらと語ってくれました。

   

野球にまつわる話題では、少年のような表情で話す加藤さんの姿がありました。

吉村:岐阜聖徳学園大との対戦では、近藤真市さん(プロ野球ドラゴンズの元投手・現岐阜聖徳学園大監督)にお会いしたそうで、ノーヒットノーランはご覧になりましたか。
加藤:1987年8月9日の日曜日だと思いますが、ビールを飲みながら試合を観戦したことを覚えています。
吉村:私もネット裏でプロ野球ニュースの準備をしていたので、すれ違っていたかもしれませんね。
加藤:世の中は広いようで狭いですね。今度球場であったら近藤さんと記念写真を一緒にとってほしいなと思っています。

 大学野球の規定で選手登録は4年間のため、加藤さんは名工大から数えて残された時間はこの秋までとなります。

加藤:硬式野球は大学では4年間。これで最後のシーズンになります。野球は硬式、軟式、準硬式、ソフトボールなどもありますが、どんな形であれ続けていきたいです。
吉村:4年間が終わってもいつまでも野球は続けますね。
加藤:野球が大好きなので、野球をしながら、常に打つイメージを持ちながらやっていきたいです。当たる当たらないはその時の運。練習しながら試合に臨んでいきたいです。

    そう語る加藤さんの目は少年のように輝き、最後のシーズンに向かっていました。

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