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伝説の「ノー・ノー」左腕 大いに語る 元ドラゴンズ近藤真市さん(上)快記録の裏側 ぎふチャンラジオ「吉村功スポーツオブドリーム」

キャスター吉村功さんが岐阜のスポーツ情報を伝えるぎふチャンのラジオ番組「吉村功の...
「吉村功のスポーツオブドリーム」に出演した近藤真市さん(前列中央)。右が吉村功さん=20日、ぎふチャンラジオ第一スタジオ

 キャスター吉村功さんが岐阜のスポーツ情報を伝えるぎふチャンのラジオ番組「吉村功のスポーツオブドリーム」。6月20日は岐阜聖徳学園大学硬式野球部監督の近藤真市さんをスタジオゲストに迎えました。

 近藤さんは1987年、ドラフトで5球団が1位競合して入団したドラゴンズで、一軍公式戦初登板ノーヒットノーランという日本プロ野球史上唯一の快挙を成し遂げました。去年、選手、スタッフとして長年在籍したドラゴンズを退団し、今年2月に岐阜聖徳学園大学野球部監督に就任。この夏は、ぎふチャンテレビ・ラジオの高校野球中継で解説も務めます。番組で、吉村さんが聞いた大記録の裏側から、恩師である故星野仙一さんとのエピソード、岐阜の野球界の展望まで貴重なお話を、3回にわたってお届けします。

 一軍公式戦初登板でノーヒットノーラン―。この大記録が生まれたのは1987年8月9日。前年のドラフトで5球団から1位指名を受けて地元ドラゴンズに入団した近藤さんのルーキーイヤーでした。

 「(先発は)その日の練習後に伝えられました。びっくりしましたよ、僕でいいの?!って」と、当時の正直な気持ちを教えてくれた近藤さん。「高校時代から大胆不敵な感じだった。あんまり驚かなかったんじゃないですか?」と問う吉村さんに、「いえいえ。練習が終わって、試合開始までの2時間が本当に長く感じました。マウンドに上がるときは足が震えていましたし」と、胸の内を明かしました。

 球場のバックネット裏でこの大記録樹立の瞬間に立ち会った吉村さんですが、「実は(最初は)そう長くはもたないだろうなという思いで見ていました」と。「なにしろ、相手は原(辰徳)、駒田(徳広)、篠塚(和典)がいたジャイアンツですからね」と話すと、近藤さんも「皆さんそう思っていたと思いますよ」とうなづきます。

 ところが試合は、五回を終えた時点で6-0とドラゴンズが大量リード。ここでチームメートから「まだ(安打が)出てないぞ」と背中を押され、近藤さんは一段階ギアを上げたといいます。

 ヤマ場は七回。味方のエラーから1死一塁とされたところで、4番原を迎えた場面。「サインはすべてまっすぐでしたけど、首を振って、全球カーブを放りました」。ルーキーらしからぬ豪胆ぶりを見せつけ、空振り三振。試合の行方を決定付けるとともに、大記録達成にぐっと近づきます。

 ここまで振り返ったところで吉村さん、なんとノーヒットノーランを決めた最後の一球に物申します。「最後のバッターが篠塚なんですよね。2ストライク1ボールからの4球目、伝家の宝刀カーブで勝負したんですよ。あれ、絶対ボールですよ、ね?」

 「ボール・・・だと思います」と苦笑いする近藤さん。「ちょっと抜けたなって感じがあったんですけど、球場の雰囲気と、ファンの後押しとがあって、球審の手が(ストライクと)上がったかなと思います」と打ち明けてくれました。

 輝かしいスタートを切った近藤さんのプロ野球人生ですが、翌88年に8勝を挙げた後は肩の痛みに悩まされ、勝利から遠ざかります。肩やひじを手術し、復活を試みるもかなわず、94年にわずか7年の現役生活を終えました。「実質1年ですね、本当によかったのは。それからは苦痛なプロ野球人生だった」と、寂しさのにじむ声で語りました。

 「ただ、近藤さんの野球人生はそれだけじゃない。むしろここからが長いんだ」と吉村さん。近藤さんはその後、スコアラー、投手コーチ、スカウトとして、35年にわたりドラゴンズに携わりました。コーチとして星野仙一(故人)、高木守道(同)、落合博満ら名将に学び、采配のイロハを学びました。特に、現役時代の恩師でもある星野さんとの濃密な時間は、今なお近藤さんに影響を与えています。
 次回、星野さんとのエピソードを中心に、近藤さんの第二の野球人生を追います。

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